大きな大げさ、小さな大げさ
漢詩や漢文は表現が大げさだ、とよく言われます。李白の「白髪三千丈」なんていうのはその典型で、3000丈とは約9.3km。たしかに、誇張にもほどがあります。
でも、大げさな表現を好むのは、漢詩文には限りません。日本の古典によく出てくる「涙で袖を絞りにけり」なんていうのも、冷静に考えれば「そんなバカな!」というところでしょう。文学というものは、誇張表現を内蔵しているもののようです。
誇張というと、実際よりも大きく見せることのように思いますが、その逆もあります。たとえば、陶淵明は『帰去来の辞』の中で、地方官を辞めて自宅に戻ったときの心地よさを、次のように歌っています。
「南窓なんそうに倚よりて以って寄傲きごうし
膝を容いるるの安んじ易やすきを審つまびらかにす」
南向きの窓に寄りかかってくつろぐと、狭い我が家の落ち着きやすさがつくづく実感される、というのです。
ここで気になるのは、「膝を容るる」という表現。自宅が狭くて「膝がやっと収まるくらい」だというのですが、いくらなんでも、それは大げさ! こういう、小さい方への誇張表現も、文学の中には探せばいろいろあるのかもしれません。
秋も深まって、だいぶん寒くなってきました。ぼくはここ数年、男らしくもなく冷え性に悩まされていて、机に向かってじっと仕事をしていると、足先が極度に冷たくなって、放っておくと体全体の調子が悪くなってしまいます。
そこで、昨年から導入したのが、写真のクッション。ちょうど足先が入るようにできていて、中に使い捨てカイロを入れておけば、冷え性対策は万全です。おまけに、節電にも効果あり。大泉学園のゆめりあフェンテの中にある雑貨屋さんで偶然、見つけて、重宝しています。
ちょうどつま先が入るくらいの心地よさ。そこから、陶淵明を思い出したという次第。つま先であれ膝であれ、「ぴったり感」というものは落ち着くための重要な要素なのです。
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コブシの花が咲き始めた。