出版・編集

2015年5月 3日 (日)

からかわれているのはどっちかなあ…

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 古本屋さんで買ってきた、北杜夫『奇病連盟』(新潮文庫)を読んでいたら、次のような場面に出会いました。製薬会社でPR誌の編集者をしている主人公の山高武平が、ある作家に原稿依頼をしたときのこと、その作家は、2年前に出した自作の話を始めます。

 「武平は実はその評判の作となった本を読んでいない。しかし、作家という人種は、いやしくも自分に原稿を依頼してくれる編集者が、自分の評判作を読んでいないとわかると、それだけで不機嫌になったりすることもあるので、武平はホラをふいた。」

 こういう経験、編集者ならだれでもあるのではないでしょうか。

 ぼくが編集者としてお付き合いをさせていただくのは学者の先生がほとんどですが、初めてごあいさつしたときに未読のご著書のお話などが出て、冷や汗をかくことがあります。「それはおもしろそうですね、早速、読みます!」とお答えするのが正解なのでしょうが、自分の不勉強をさらしてしまうのが恥ずかしくて、なかなか正直にはなれません。

 ただ、原稿を書く側の立場になってみると、自分の書いたものを読んでくれていない編集者は、ちょっと話をすればすぐにわかります。そんなときはもちろん残念な気持ちになるわけですが、「これまで、自分はこんな気持ちを何人の先生方にさせてきたことか」と振り返って、自戒の念とともに受け容れるわけです。

 北杜夫さんご自身も、作家として「この編集者、読んでないな」と感じたことが、何度もおありだったことでしょう。その経験をひっくり返して、こういう場面に仕立てあげるとは、さすが、小説家の想像力!

 「作家という人種」を揶揄しているようで、実は「編集者という人種」を揶揄しているのかもしれません。

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2015年3月 2日 (月)

先人の努力のたまもの

 よく誤解されるのですが、ぼくは地道に努力することが苦手です。何ごとも長続きしないので、語学だとか楽器だとかは一向にものにできないまま、アラフィフに達してしまいました。仕事の場合はそんなことは言ってられないので、何かと目先を変える工夫をしつつ、なんとかこなしていくようにしてきました。

 そんなわけですから、地道に努力して作り上げられた仕事を前にすると、敬意を表さずにはいられません。

 朝日出版社さんから刊行されていた『実用漢字表現辞典』は、常用漢字を中心に、読み方や意味はもちろん、例語や用例、筆順とその注意点、漢字に関する基礎知識などなど、漢字についてのさまざまな情報を満載した1冊。ただ、惜しむらくは、編集作業をされた基礎学習研究会さんがすでに解散されたようで、近年は改訂がされないままでした。

 その改訂の作業を手伝ってほしい、と頼まれたのは、昨年の1月のこと。印刷用の原版は古くてもう手直しができないので、ゼロから組み直すことになりました。

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 実際にその仕事に手を染めてみると、旧版を作られた方が、いかに地道な努力を積み重ねて来られたかが、よくわかりました。写真はぼくが組み直したものですが、400ページを超える本文のほとんどが表組みスタイルで、漢字は総ルビ。しかも、隅々まで情報を詰め込んであって、白い部分はほとんど見当たりません。

 これを、写植で、おそらく最初は手動機で組まれたのだと思うと、その努力には溜息が出るほど。

 体裁面でも内容面でも、そのよさをできる限り生かしつつ、常用漢字や人名用漢字の改訂に合わせた内容の調整も行って、このたび、『新 実用漢字表現辞典』として改めて刊行されることになりました。

 ぼくも、怠けたくなりがちな自分の身に鞭を打って、地道な組版作業をなんとかこなし終えました。その結果、先人の地道な努力のたまものが、少しでも長く商品として生き続けることになるのであれば、こんなにうれしいことはありません。

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2015年2月 7日 (土)

帯にびっくり、読んでびっくり。

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 新幹線の中で読もうと、梅田の紀伊國屋さんで何気なく買い求めた、新潮文庫のマーク・トウェイン『ハックルベリイ・フィンの冒険』。いざ読もうと思ってリュックの中から取り出してみたら、帯の文句に目が行きました。

 ピンクのチェックの地に、真ん中に大きく「NHK連続テレビ小説 花子とアン」とあって、上には「話題の《村岡花子訳》で味わう世界の名作!」と書いてあります。まったく恥ずかしながら、村岡さんは『赤毛のアン』シリーズだけではなかったのですね。

 奥付を見ると、平成26年2月10日発行の88刷。去年の今ごろ、『花子とアン』が始まるのに間に合うように増刷して、帯もかけたのでしょう。さすが新潮社さん、手堅い商売だなあ!

 そんなことを考えながら眺めておりましたら、妙なことに気づきました。この帯、背の部分が白いままなのです。

 ふつう、カバーの背の下の方には、著者や出版社の名前が入ります。帯をかけると、それが隠れてしまうので、隠れた文字を帯の背の部分にも印刷しておくのが、一般的な作り方。ただ、時には、ここに宣伝文句を入れることもあります。

 そうしておけば、書店で棚に差された状態でも、お客さんに何らかのメッセージを発することができます。もちろん、著者や出版社の名前は示せないわけですが、それ以上に伝えたいことがあれば、背の部分も宣伝媒体として有効活用しよう、というわけです。

 なのに、それが白いままというのは、ハナから平積みされることしか想定していないということか。それとも、何かほかに事情があったのでしょうか……。

 それはともかく、『ハックルベリイ・フィンの冒険』、遅まきながら初めて読みました。ミシシッピの大自然に抱かれて、愛すべき少年が活躍するユーモア冒険小説かと思いきや、ちょっとびっくり。ずいぶんとスプラッタなお話なのですねえ!

 これがそのままリアルだとはもちろん思いませんが、南北戦争前のアメリカ南部には、こんな一面もあったのでしょうね。

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2014年7月25日 (金)

思い切って書いてみました!

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 いつか作ってみたいけれど、はたして売りものになるやらどうやら……。

 書籍編集者ならば、そんな本の企画を1つや2つ、袖の下に隠し持っているのではないでしょうか。ぼくにとっては、『列子』に関する本がそれでした。

 『列子』とは、漢文の古典の1つ。「杞憂」とか「朝三暮四」といった故事成語の出典だといえば、ちょっとは聞いたことがあるという方もいらっしゃるかもしれません。

 この書物、漢文だからおカタイ内容かと思いきや、そんなことはありません。たとえば、心臓入れ換えの大手術をしたら、人格まで入れ替わってしまったという話。死なない方法を発見したと主張していたのに死んでしまった、あやしい学者の話。さらには、歌って踊れるロボットがウィンクをする話などなど、一風変わったおもしろい物語がたくさん詰まっているのです。

 そこで、『列子』をテーマに本ができないか、と考えるわけなのですが、いかんせん、この書物はマイナーすぎます。ただでさえ、「今どき漢文?」と首をかしげられてしまうこのご時世。『論語』や『老子』『史記』といった有名古典であれば、まだそれなりに読者もつきますが、『列子』と聞いて手に取ってくれる読者が、どれくらいいるものでしょうか。

 というわけで、著者としては「ぜひとも書いてみたい!」と思いつつ、編集者としては「商品化に難あり!」と自制して、これまで、手を付けずにいたのでした。

 それを、なんと、あの新潮社さんが選書の1冊として出して下さる、というのです。ありがたや!

 その結果、できあがったのが、新刊の拙著『ひねくれ古典『列子』を読む』(新潮選書)です。

 みなさん、どうか、なじみのない古典がテーマだからといって、敬遠したりなさらないで! 大昔の中国の人々が書き残してくれた、想像力あふれる摩訶不思議な世界を、楽しんでいただければと思います。

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2013年12月15日 (日)

いろいろ試したんだろうなあ……

 発売されたばかりの『三省堂国語辞典 第7版』が届きました。お付き合いのある編集者さんが、お送ってくださったのです。

 早速、ページを開いてみました。今回は組版システムを変更したと聞いていたのですが、その影響は感じられません。【 】を使わないすっとした印象の紙面は、健在です。

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 ただ、しばらく眺めていてまず気がついたのは、ダッシュが細くなったな、ということ。

 たとえば「すっと」の項目で、用例として「すっと立ち上がる」と記述したい場合、国語辞典では、「すっと」の部分をダッシュにして、「—立ち上がる」とするのが、一般的です。このダッシュが、第6版ではけっこう太めで、実は、ちょっと目立ちすぎるかなあ、と感じていたのでした。

 また、項目内の大区分で使われている四角数字も、この版からは白抜きの網掛けに変更。旧版ではただの四角数字だったので、こちらはちょっと目立つようになりました。

 こういう記号類は(業界用語では「約物(やくもの)」と呼んでいますが)、辞書編集部が意外と気を遣うところです。色刷りにすれば目立つしアクセントになりますが、あまりたくさんあると紙面がチラチラした印象になります。太字や白抜きも同様で、使いすぎるとゴロゴロしてきて逆効果。バランスのいいところを目指すわけですが、なかなかうまくはいきません。

 辞書はページ数の多い書物ですから、こういった基本的な組み方をあとで変更するのは、基本的には御法度です。本格的な組みに取りかかる前に、いろいろなパターンを想定して決めていくしかないのです。

 そういえば、編集者さんは、見本組を10回以上も取った、とおっしゃっていましたっけ……

 この四角数字の網掛けの度合いも、30%、50%、70%と3つぐらいは試してみたのかも、などと想像しながら、紙面を眺めてみるのでした。

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2013年8月14日 (水)

帯と呼ぶには太すぎる!

Photo  映画で話題の『少年H』(講談社文庫)を読みました。

 作者の妹尾河童さんは、父と同じ昭和5年の生まれ。舞台になっている神戸の鷹取近辺は、父が幼少期を過ごした須磨のすぐそばです。そんなわけで以前から気になっていた作品だったのですが、これまで、なかなか手に取る機会がありませんでした。

 実際に読んでみると、父の少年時代の神戸の町はこんな雰囲気であったろうか、と感じ入ることしきり。父は陸軍幼年学校に行った口なので、時代の行く末を常に醒めた目で見つめている主人公の少年Hとは、だいぶ違ったことでしょう。それでも、昔、父が「戦争になると、つまらんヤツが威張る」と言っていたのが、しみじみ思い出されました。

 そんなことを考えながらページをめくっているうちに、この文庫本には、カバーが二重にかけてあるのに気づきました。外側のカバーは、映画の公開に合わせて作られたもので、映画のシーンの写真や、宣伝文句が刷り込まれています。内側のカバーは、そういうもののない、本来の装丁です。

 世の中には、映画やドラマの宣伝が入った装丁がいやな人が少なからずいて、そういう人への配慮なのでしょう。いや、ひょっとすると、カバーをかけかえるよりは、二重にかける方が、外す手間が省けるぶんだけコストが少なくて済むのかもしれません。

 文庫本の装丁というのも、いろんなことをするものです。

 ただ、もっとおもしろかったのは、外側のカバーの袖の部分に「特大帯写真」云々と印刷されていたこと。これによれば、外側のカバーは、「カバー」ではなくて「特大帯」という位置づけのようです。たしかに、内側の本来のカバーより、天地のサイズが3ミリほど短いのですけれども……。

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2013年7月 5日 (金)

ありえないから、おもしろい!

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 時々、思い出したように読んでみたくなるミステリ作家。それが、不可能犯罪の巨匠、ジョン・ディクスン・カーであります。先日も、駅前の小さな書店で、ふと『蠟人形館の殺人』(和爾桃子訳、創元推理文庫、2012年)を見つけて、なんとはなしに買い求めてしまったのでした。

 高校生のころから、『赤後家の殺人』『皇帝のかぎ煙草入れ』『三つの棺』『ユダの窓』などなど、名だたる作品は読んできています。今さら、それらを超える驚きが待っているはずもないでしょう。実際のところ、勢い込んで読み始めたものの、終わってみての感想は正直言ってイマイチ、という作品も少なくありません。

 それでは本作はどうかというと、1930年代のパリ、薄暗い蠟人形館の片隅から、若い女性の刺殺死体が転がり出る、という発端の雰囲気には、拍手喝采。それが中盤になると、いわゆる「闇の帝王」みたいな人物が現れ、上流階級の乱交クラブのようなものまで登場して、なにやらあやしい雲行きに。おもしろくないわけではないのですが、やっぱりあまりにもリアリティに欠けるよなあ、などとつぶやきながら、ページをめくるはめとなりました。

 ところがところが、ラストに至って、その評価は一変! 意外な犯人もさることながら、電話を通じての最後の対決は、ものすごい迫力。そして、衝撃的なラスト。こういう物語は、リアリティなど無視してかからなくては成立しません。カーの「ありえない」世界は、それはそれでやっぱり魅力的なのだなあ、と感じ入った次第でした。

 それにしても、80年ほども前に出版されたこういう作品が、きちんと新刊の文庫で読めるというのは、なんとありがたいことでしょう。日本の出版界も、まだまだ捨てたものではありませんね。

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2013年6月13日 (木)

昔とったきねづか

 電車のドアの脇に書籍の広告が見られるようになったのは、いつごろからでしょうか? もちろん、昔からあるものなのでしょうが、目立つようになったのは、ベストセラーになった片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001年)のころからのように思います。

 先日も、西武池袋線でドアの脇に立って、なんとなく書籍の広告を見つめておりました。と、右下に「たちばな出版」という出版社名が書いてあるその肩に、何やら小さな文字が記されているのに気がつきました。ちょっと顔を近づけてよく見てみると、次のようにありました。
  座って読んでも
 一瞬、頭の中をはてなマークがいくつがよぎりましたが、やがて、今度はピカッと電球の絵が浮かびました。なるほど、「たちばな出版」と「立ち話」を掛けてあるのですねえ!

 こうなると、ぼくの中に住んでいるダジャレの虫が黙ってはいません。何を隠そう、中学3年生のときには、クラスで1番の「しょうもないこといい」に選出されたことだってあるんですから。ほかにも、こういうダジャレになりそうな出版社はないでしょうか。

 すぐに思いついたのは、
  大胆不敵な 新潮社
 ありきたりですね。では、次はどうでしょう。
  ポカリを飲んでも 三省堂
 ちょっと説明が必要かも? さらには、
  おしゃべりさんでも 岩波書店

 池袋までのひととき、そうやって楽しく過ごしたことでした。

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2013年5月27日 (月)

遅ればせながら初挑戦!

 どこどこの書店で、ある書店員さんが手作りのポップを作って陳列したら、ある本の売り上げが急激に伸びて、ベストセラーになったらしいよ……。

 そんな話が出版業界でささやかれるようになったのは、21世紀に入ったころだったのではないかと思います。それは、新聞や雑誌といった、いわゆる「メディア」での広告展開にばかり目が奪われがちだったこの業界で、書店という「場」の重要性を再認識させてくれる事件でした。

 全国の書店員さんが、積極的にポップを作って「売りたい本」を宣伝してくださるようになったのは、そのころからです。そこに出版社サイドも参入して、現在では、書店の店頭はポップの花盛りといった状態になっています。

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 中には、初版が3000部とか4000部とかいう、一般の人々から見ると「専門書」と言われてしまうような商品についても、編集担当者がポップを手作りしている、といったお話もあります。また、著者の直筆ポップを見かけることだってあります。

 そこでぼくも、先週発売の『部首ときあかし辞典』では、ポップを手作りしてみました。本当は何十枚、何百枚も手書きして、全国の書店にお送りしたかったくらいなのですが、さすがにそうも参りません。6種類だけ作って、あとは版元の研究社さんの方で、適宜、カラーコピーしていただくことにしました。

 1種類ごとに、ああでもないこうでもないと考えながら、手作りしました。字にもレイアウトにも色使いにもまったく自信はありませんが、もし、書店で見かけたら、お読みになってみてください。そうして、拙著に少しでもご興味を持っていただければ、うれしい限りです。

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2013年5月22日 (水)

思い切って絞ってみました!

 読者層を広げたい!

 それは、出版に携わる者であればだれしもが抱く願いです。できるだけ多くの人に興味を持ってもらえれば、それだけ販路も広がります。売れ行きももちろん大事ですが、それ以上に、その本のよさを多くの人に感じてもらえるのは、本を世に送り出す側にとっては、大きな喜びです。

 ただ、読者層を広げるということは、読者層が拡散することでもあります。多くの人に興味を持ってもらいたいとするあまり、焦点のぼやけた、だれからも興味を持たれにくい企画になってしまう、ということはよくある話です。

 そこで、時には、思い切って読者対象を絞り込むことも必要になります。

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 新刊の拙著『部首ときあかし辞典』が、本日から全国の書店で発売となります。今回は、テーマを「部首」に絞り込んでみました。「漢字好き」はたくさんいらっしゃいますが、その中で「部首」に興味をお持ちで、辞書を買ってでも詳しく知りたい、と思っていらっしゃる方は、どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

 とても不安なのですが、そのぶん、焦点のはっきりした本だという自信はあります。「部首」にちょっとでも興味がある方にとっては、きっとご満足いただけるであろう、ある意味ディープな世界が展開されております。

 研究社さんのご努力で、本体価格2000円というお安さ! ぜひ、書店で手にとってご覧いただいて、気軽にレジまで足をお運びください。

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