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2015年5月

2015年5月31日 (日)

どっちが危なく見えますか?

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 NHKさんが平日の夕方に放送している「首都圏ネットワーク」という番組の中に、「ストップ詐欺被害! 私はだまされない」というコーナーがあります。いわゆる「振り込め詐欺」の実例と防止策を、毎日毎日、次から次へと紹介してくれて、「そんな手口があるのか!」と驚くこともしばしば。こういう番組を地道に作っていらっしゃる制作者の方々には、本当に頭が下がります。

 と思っていましたら、こないだの金曜日、夜7時半から、このコーナーの特集番組が放送されていました。

  そのタイトルは、「あなたは騙されないで 〝特殊詐欺〟被害者と考える」。「私」が「あなた」になったのは、「私はだまされない!」という思い込みこそが危ないのだと考えれば、さもありなん。ただ、「だまされない」が「騙されない」と漢字になったのが、ちょっと引っ掛かったのでした。

 それこそ「詐」とか「欺」という漢字ならば、「詐欺」がとてもよく使われる熟語になっているので、それぞれの漢字を見ただけでも、何かワルそうな印象を受けるものです。

 しかし、「騙」という漢字は、「だます」とか「かたる」と訓読みして使いますが、音読みの熟語がほとんどないため、現在の日本語の中ではそれほど一般的な漢字ではありません。イメージ喚起力の強くない漢字だといえるでしょう。

 そんな漢字をあえて番組タイトルに用いたのは、どうしてなのでしょうか?

 考えられるのは、「あなたはだまされないで」だと、すべてがひらがなになってしまって、穏やかな印象を与えてしまう、ということ。かといって、「貴方はだまされないで」とすると場違いにレトロですし、「あなたは騙されないで」にするしかなかったのかなあ、と。

 文字の使い方1つで、伝えたいことの印象が変わってしまう。それは、日本語のめんどくささでもあり、おもしろさでもありましょう。

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2015年5月11日 (月)

おいしい鶏肉をほおばりながら

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 連休中、ある中華の定食屋さんでのこと。

 鶏肉の黒胡椒炒めをおいしくいただいておりましたら、ふと、目にとまったのが、この爪楊枝入れ。爪楊枝入れにわざわざ「ようじ入れ」とシールが貼ってあるのもなにやら目新しかったのですが、あらためて「これはようじ入れですよ!」と言われると、なんだか落ち着かないものを感じたのでした。

 いったい、何が落ち着かないのか?

 鶏肉をほおばりながら、つらつらと考えてみたわけですが、その理由は、ぼくがこの「ようじ入れ」に爪楊枝を入れることはない、というところにあるようです。だって、お客さんであるぼくが使用済みの爪楊枝をここに入れたら、ほとんど犯罪でしょう?

 考えてみれば、「小銭入れ」にしても「名刺入れ」にしても「小物入れ」にしても、もちろんそこに何かを入れるものであるわけですが、そこから出して使うものでもあるわけです。とはいえ、「○○入れ」ということばから真っ先に思い浮かべるのは、やっぱり、そこに何かを「入れる」ことでしょう。

 とすれば、定食屋さんで「ようじ入れ」と書いてあるのに出会ったぼくが、「ここに爪楊枝を入れてね」と呼びかけられているように感じたとしても、あながち、ヘソ曲がりだとばかりは言えないでしょう。この「ようじ入れ」というシールは、言わずもがなではないのかなあ……。

 では、「ここから爪楊枝を出して使ってね!」というお店側の気持ちを、うまく表現できるいい名前はないだろうか?

 いろいろ頭をひねってみたのですが、なかなか思いつきません。名は体を表すとは申しますが、ものの名前というものは、なかなかにむずかしいもののようです。

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2015年5月 3日 (日)

からかわれているのはどっちかなあ…

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 古本屋さんで買ってきた、北杜夫『奇病連盟』(新潮文庫)を読んでいたら、次のような場面に出会いました。製薬会社でPR誌の編集者をしている主人公の山高武平が、ある作家に原稿依頼をしたときのこと、その作家は、2年前に出した自作の話を始めます。

 「武平は実はその評判の作となった本を読んでいない。しかし、作家という人種は、いやしくも自分に原稿を依頼してくれる編集者が、自分の評判作を読んでいないとわかると、それだけで不機嫌になったりすることもあるので、武平はホラをふいた。」

 こういう経験、編集者ならだれでもあるのではないでしょうか。

 ぼくが編集者としてお付き合いをさせていただくのは学者の先生がほとんどですが、初めてごあいさつしたときに未読のご著書のお話などが出て、冷や汗をかくことがあります。「それはおもしろそうですね、早速、読みます!」とお答えするのが正解なのでしょうが、自分の不勉強をさらしてしまうのが恥ずかしくて、なかなか正直にはなれません。

 ただ、原稿を書く側の立場になってみると、自分の書いたものを読んでくれていない編集者は、ちょっと話をすればすぐにわかります。そんなときはもちろん残念な気持ちになるわけですが、「これまで、自分はこんな気持ちを何人の先生方にさせてきたことか」と振り返って、自戒の念とともに受け容れるわけです。

 北杜夫さんご自身も、作家として「この編集者、読んでないな」と感じたことが、何度もおありだったことでしょう。その経験をひっくり返して、こういう場面に仕立てあげるとは、さすが、小説家の想像力!

 「作家という人種」を揶揄しているようで、実は「編集者という人種」を揶揄しているのかもしれません。

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