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2012年8月

2012年8月30日 (木)

残暑の勘違い3つ

Photo  きのう、何気なく新聞のテレビ欄を眺めておりましたら、テレビ東京で昼下がりに放送している『救命医ハンク2』のところに、「夜は野獣と告白する女」と書いてありました。

 いったい、この女性は夜になると野獣と一緒にどんなことを告白するのだろう?

 と思ったのはもちろん一瞬で、「私、夜の生活は野獣みたいなのよ」と告白するセクシーな女性なのでしょうね。このドラマを実際に見たことはないので、わかりませんけれど。

 最近、こういう勘違いが多くて、先日も、ネットニュースで「370人超食中毒」という見出しを目にしたとたん、

 おそろしい! ついに「超食中毒」なるものが現れたか!!

 と、つかのまでしたが真剣に思ったのでした。そんなヘンなことを考えてしまって、食中毒で苦しんでいらっしゃる方々に申し訳ない、と心の中で即座に謝ったのは、いうまでもありません。

 また、やはりネットニュースの見出しで、「AKB卒業の前田敦子、24時間テレビ出演」というのも、ぼくにとっては引っかけ問題でした。

 前田さんもたいへんなんだなあ、24時間もテレビに出ずっぱりなんだ。

 「24時間テレビ」という番組があるのはもちろん知っているのに、こんな勘違いをしてしまうのは、猛暑に頭が相当やられている証拠なのでしょう。

 とはいえ、書きことばというのはむずかしいですねえ。1つ「、」を打っていただけるととても助かるのですが、字数が限られているとそうもいかないのでしょうねえ……

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2012年8月26日 (日)

お似合いなのが意外ですね

 パソコンの中の古い写真を探していたら、忘れていたおもしろいものが出てきたので、ちょっとご紹介をしておきましょう。
Photo_2
 上は、神保町のすずらん通りにあった古本屋さんで撮影したもの。岩波文庫の「庫」を、「广(まだれ)にカタカナの「コ」と書いてあります。下は、去年の秋に、立川市から昭島市にかけて広がる昭和記念公園にコスモス畑を見に行ったときに、売店で撮ったもの。「广」の中に「マ」と書いてあるのは、もちろん「多摩」の「摩」ですね。

 「广」の略字というと、慶応義塾の「慶応」を、「广」に「K」「O」と書くのが有名ですが、こういうバリエーションもあるんですね。

 「木へん」や「氵(さんずい)」といった、いわゆる「へん」の部首でこういうことをやろうとすると、右半分の部首と左半分のカタカナやアルファベットがうまくなじまず、今ひとつおもしろくはなりません。それが「广」だと、漢字の上から右にかけてを押さえてくれるので、カタカナやアルファベットと組み合わせても一体感があって、それが意外性を生みます。「广」の漢字がこういうふうに略して書かれるのには、そんな背景があるのかもしれません。

 そういえば、上の岩波文庫、会社のお昼休みに何気なく立ち寄って見つけた記憶があります。ファイルの日時を見ると、2008年2月15日となっていますから、辞表を出してから退職するまでの間です。残り少ない神保町暮らし。どんなことを考えながら、歩いていたものやら。

 この古本屋さん自体、今ではなくなってしまったので、いろいろな意味で、ぼくにとってはちょっとなつかしい写真です。

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2012年8月22日 (水)

ヨアライ再び……

 特にテーマもジャンル分けもせず、ぼんやりとしていて思い浮かんだことを適当に書く、というスタイルでこのブログを始めて、半年あまりになります。

 そんな内容でも、ありがたいことに、平均して1日に10件ばかりのヒットをいただいているのですが、中でも圧倒的によくご覧いただいているのが、3月8日の「ヨアライとは何ぞや?」。食器洗い機のCMで耳にする「予洗い」ということばにひっかかる人は多いようです。

 そこで、このたび、久しぶりに読み返してみました。ああ、あのころは「だ・である体」で書いていたんだなあ、妙な力が入っていたなあ、などとぼんやり考えておりましたら、ふと、思いついたことがありました。

 この記事では、「予洗(よせん)」ということばは「予選」と聞き間違えられてしまうから、わざと「よあらい」と重箱読みにしてあるのだろうか、といったことを書いていました。実際、「私立」と「市立」がまぎらわしいので「わたくしりつ」「いちりつ」と読み分けたり、「首長(しゅちょう)」は「市長」と聞き間違えられるので、わざと「くびちょう」と読んだりする例があります。

 ただ、「予洗」と「予選」が勘違いされるというのは、ちょっと考えが足りなかったように思うのです。「予洗」が気にしているのは、「除染」ではないでしょうか。

 ヨセンがいらない食器洗い機。それを宣伝するのに、ヨセンをジョセンと聞き間違えられるのは、メーカーさんとしても本意ではないでしょう。だとすれば、多くの人が耳障りだと感じているらしい「予洗い」ということばも、3・11以降のこの時代を、とてもよく反映しているものなのかもしれません。

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2012年8月17日 (金)

問答無用?のゴシック体

 立秋は過ぎましたが、連日の猛暑。朝6時、フリーの猫くんの鳴き声で起こされるころには一服の涼しさを感じるものの、朝食を終えたころから、早くもうだるような暑さに。なんてったって、わが練馬区は東京で一番暑いというウワサ。今日も午前中に35度を突破して、めでたく(?)猛暑日と相成りました。

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 そんな中、汗をかきかき、区内の図書館に行きましたら、写真のような注意書きが立っていました。少しでも涼しくなるような本を集めた、特設コーナー。そこに掲げられた「涼」という筆文字の「京」の「口」のところが「日」になっている。でも、これは間違いじゃないですよ、というのです。

 書いてあるとおり、隷書では「京」はこのように書かれるのがふつうです。前回、書き漏らしてしまったので補足しておきますと、隷書とは、紀元前3世紀ごろから使われ始めた書体。だいたい紀元後5〜6世紀ごろから、現在、私たちが日常的に使っている楷書が登場する。そんな関係です。

 ただ、書道の世界では隷書は今も現役です。そこで、看板とか何かの題字など、改まった場面では「口」が「日」になった「亰」が使われているのを見かけることがあります。この「涼」という字も、その一種なのだといえましょう。

 おもしろいのは、そこにこんな注意書きをくっつけてある、という事実。だったら最初から楷書で書いておけばいいのに、とも思いますが、問い合わせが相次いだのであわてて注意書きをこしらえた、ということなのでしょう。筆文字の方を書き直す、という選択肢もあったはず。書家の方に書いてもらったのでそうもいかなかった、というような事情でもあったのでしょうか。

 注意書きがばっちりとしたワープロ文字だというのも、なかなかの味わいどころ。だって、手書きで作って、またその文字に問い合わせでも寄せられた日には、かないませんもんね。

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2012年8月14日 (火)

煮詰まり具合を嘆きながら…

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 両手を頭の後ろに組んで、ぼうっとあらぬ方向を眺めている……。

 仕事が煮詰まったときに、きっと、みなさんがなさっているポーズでしょう。今朝のぼくも例外ではなく、そうやってぼんやりしておりましたら、ふと、眼に入ってきたのは、本棚の最上段にある、尾崎雄二郎先生の『漢字の年輪』(角川書店、1989)。名著であります。

 尾崎先生は、漢字の、特に音韻学の泰斗でいらして、この本ではその学識を、実にフランクな口調で語っていらっしゃいます。とはいえ内容的にはかなり高度で、ぼくにはよく理解できない部分がたくさんあるのですが、「字典」とはいったい何なのかとか、「和」を名前で「かず」と読むことがあるのはどうしてかとか、「連綿字」なるものの存在とか、いろいろと教えていただいたものです。

 その名著も、残念なことに現在では絶版。ぼくは古書店で見つけて買ったのですが、新刊時の定価は3900円。布クロスの上製で、文学全集ばりの貼り函に入っているという豪華な造本ですから致し方ないことではありますが、いつかもっと手に取りやすい形で再刊されるといいなあ、と思います。

 ところで、今朝、ぼんやりとしていたぼくの眼に入ってきたのは、この本の書名の「漢」の字。今まで気づかなかったのですが、よく見てみると、最後に書く部分が「人」のように左右の払いをつなげるのではなく、「八」のように分けて点を打つ形で書いてあります。

 学校の漢字テストでこんなふうに書いたら、確実にバツにされそう。でも、現在、広く使われている楷書(かいしょ)の元になった隷書(れいしょ)では、この形もよく見かけます。

 かの『大漢和辞典』の表紙の書名も、この形だったなあ。そんなことを思い出しながら、漢字の歴史というものに思いをはせたことでした。

 とは申しても、仕事の煮詰まり具合はいっこうに改善されはしないのですが。

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2012年8月 9日 (木)

夏の朝の一苦労

 出入りしているフリーの猫くんが、夏に入って皮膚病にかかってしまいました。近所の獣医さんに相談したところ、抗生物質を処方してもらったので、数日前から朝夕、食事に混ぜてのませています。

 それまでは、ドライタイプのキャットフード(通称、カリカリちゃん)をあげていたのですが、これでは薬は混ざらない。そこで、シーチキンタイプのものも用意。お水と合わせると3皿という、ちょっとしたコース料理です。

 ところが、昨夕から急に、シーチキンタイプに口をつけなくなりました。今朝もそうで、お腹が空いたとばかりにニャアオ〜オゥと鳴き、果ては前足で壁をガリガリやったりするのですが、なかなか食べてはくれません。

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 こっちは薬が気になるので、「お願い、これを食べて」「食べたらカリカリちゃんあげるから」などと言って、なだめすかして食べさせます。ちょっと食べたらまたカリカリちゃんを欲しがるのを、なでて落ち着かせては、またシーチキンタイプに気を向かせる。そんなこんなで、30分近く付きっきりで、なんとか食べさせました。

 それでは約束通り、カリカリちゃんをあげましょう。持って出ると、いきなり飛びついて、こちらはあっという間にペロリ!

 それを眺めながら、子育てっていうのはこんな感じなんだろうか、と思ったものでした。

 食べ終わったフリー猫くん、ひとしきり水を飲んでから、満足そうに舌なめずりをすると、そのままどこかへ行ってしまいました。思いのほか涼しい朝ですから、久しぶりにちょっと遠出でもするのでしょうね。

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2012年8月 1日 (水)

なつかしの大衆食堂

 阪急電車三宮駅の西出口を出てセンター街へと向かう途中に、太平閣という中華屋さんがあります。今では、小さなスタンドみたいなお店で豚まんを売っているだけですが、ぼくが子どものころは、食券を買って中に入ると、広い店内は10人掛けくらいの長テーブルと長椅子とでいっぱいで、ニンニクやショウガの匂いがわっと襲いかかってくる、それはそれは立派な大衆食堂でありました。

 ここに連れて行ってもらうと、ぼくはなぜだか、天津飯を食べることに決まっていたものでした。とはいっても、直接、天津飯を注文するのではなく、丼いっぱいの白いごはんの上に、別に頼んだかに玉を載せる。なぜだか、そういうスタイルでありました。

 そして、そのかに玉のことを、父は「フーヨーハイ」と呼んでいました。さらには、「中国人は、しゃれた名前を料理に付けとるもんやなあ」と何度もくり返し言っていたものです。

 「フーヨーハイ」とは「フヨウハイ」のことで、漢字で書くと「芙蓉蟹」となるのを知ったのは、高校生くらいのころだったでしょうか。同じころ、吉川英治の『三国志』を読んでいて劉備の妻「芙蓉」に出会い、「芙蓉」が美しい花の名前であることを知りました。その花を意識して眺めるようになったのは、大学生になって東京へと出てきてからのこと。そして、それが中国語で指す「芙蓉」とは実は異なる花であることを知ったのは、社会人になって漢和辞典の仕事をするようになってからのことでした。

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 そんなわけで、今でも、ご近所さんのお庭に芙蓉の花が咲くと、「フーヨーハイ」のことを思い出します。太平閣の「芙蓉蟹」のあんは、ケチャップを使った赤い色でもなく、おしょうゆを使った茶色い色でもなく、白に近い透明な色でした。どの色であっても、芙蓉の花のさわやかなピンクとは違うのですけれど……。

 ちなみに、太平閣が今でも売っている豚まんは、味オンチのぼくでもわかるくらいに、めちゃくちゃおいしいです。たまに三宮へ行くと、東京の拙宅まで、クール宅急便で送ってもらっています。

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