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2012年7月

2012年7月23日 (月)

器用な人がいたもんだ!

 ぼく自身は経験したことがないのですが、その昔、書物の印刷には活版印刷という方式が使われていました。鉛で作った活字を1文字ずつ組み合わせて、文章をつづり、ページを組み立てていく方法です。コンピュータを駆使してページを組み立てていく現在の方法に比べると、はるかに手間がかかりますが、刷り上がりにはなんともいえない味わいがあることも確かです。

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 また、熟練した活版印刷工の能力はものすごいもので、原稿の書き間違いもきちんと直して組んでくれた、などといいます。出版業界で働き始めたころ、先輩たちが「活版の時代はよかったなあ」とノスタルジックに語るのを、よく聞かされたものでした。

 さて、活版印刷の場合、既存の活字にない文字が出てくると、作字をすることになります。これから先、何度も使いそうな字であれば、きちんと母型から作るのでしょうが、そうでなければ、その場で木を彫って作ってしまいます。

 写真はその1本。先輩が、ある漢和辞典を担当した記念に取っておいたのを、譲ってくださったものです。わずか3ミリ四方のスペースにものの見事に彫られているのは、「氵(さんずい)」に「省」と書く漢字。職人さんの器用さが思われます。先っぽがインクで黒く汚れているのは、実際の印刷に使われた証拠です。

 ちなみに、この漢字は「水門」という意味らしいですが、そのときの漢和辞典の見出し文字としては、もちろん載っていません。いったい、どんなところで使ったものやら。

 活版印刷そのものは、今でもやっている印刷所がありますし、鉛の活字だって買い求めることができます。でも、このような木製の手作り活字は、印刷が終わればすぐに捨てられてしまうもの。なかなか貴重な1本ではないかと思います。

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2012年7月18日 (水)

きっと星の数ほどあるはずだ……

 エアコンを買い換えました。別に故障したわけではないのですが、もう15年も使っているし、節電ということを考えると、最新式のものに換えるだけで消費電力は半分くらいに抑えられるみたいなので。おかげで、今年のつもりでいたノートパソコンの買い換えは、来年以降に繰り延べになってしまいましたが……。

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 先日、工事の人が来てくれて、取り付けも無事完了。親切なことに、使い方をざっと教えてくれます。たかがエアコン、教わるまでもあるまい、と思っていると、ちょっとびっくり! リモコンの下半分のカバーをずらすと、そこには信じられないくらいの数のボタンがぎっしりと。

 エアコンのボタンというと、冷暖房・除湿・送風の切り替えに、温度の設定、あとは風向とタイマーくらいが関の山だと思っていたぼくとしては、ちょっとした衝撃でありました。「エコナビ」だの「ロング」だの「センサー」だの、説明書を熟読しないと使い道がわからないようなボタンばっかり。「お知らせ」ボタンを押すと、この最新式エアコンくんはいったいどんなことをお知らせしてくれるのでしょうか? 興味津々であります。

 人類の歴史の上で、機械を操作するための「ボタン」が登場したのはいつごろなのでしょうか? 日本初のボタンは? その数が増え始めたのは、やはり高度成長期以降なのでしょうか? 今この瞬間、日本全国に、いや地球上にはいったいいくつぐらいのボタンが存在していて、そのうちのいくつぐらいが押されているのでしょうか?

 そんな歴史や統計があったら、見てみたいなと思います。「ボタン」について語ることは、少なくとも人類のここ100年くらいの歴史を語ることになることでしょう。

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2012年7月12日 (木)

辛口と一緒に半世紀

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 青雲の志を抱きながらも、貧しさ故に田舎の小学校の教師となったある青年。きびしい現実から抜け出そうともがいているうちに、やがて病を得て、さびしく死んでいく……。

 田山花袋の『田舎教師』を読みました。国語教科書の巻末に載っている文学史年表には、必ず出てくるほどの有名な作品。メロドラマといえばメロドラマですが、落ち着いた文章で綴られる主人公の生涯にはやはり、胸を打つものがあります。書かれたのは1909(明治42)年。100年の歳月を超えて、人の一生というものについていろいろと考えさせてくれます。

 ただ、読み終わってさらにいろいろと考えさせてくれたのは、新潮文庫版の解説。劇作家の福田恆存(つねあり)が1952(昭和27)年に書いたものですが、驚いたことに「たいくつな小説」とバッサリ!

 たしかに、主人公は自分の置かれた境遇の中でもがきはするけれど、それを変えようという意志がない。作者にも主人公への限りない同情はあるけれど、その不幸の原因を突き詰めようという力強さは感じられない。そういうところが、福田恆存が超辛口の評価を下す理由なのでしょう。

 つまり、お話としてはいいけれど、芸術としてはどうなのか?

 ぼくがおもしろいと感じるのは、新潮文庫がこの作品にそういう解説をくっつけて売っている、ということ。早い話が、店頭で解説を斜め読みしてから文庫を買う、というタイプの読者ならば、買うのをよそうと考える可能性が高いわけです。少なくとも、現在の文庫の解説の「常識」からは、かなり外れた解説でありましょう。

 さらにおもしろいのは、にもかかわらず、新潮文庫の『田舎教師』はいまだに売れ続けているらしい、ということ。ぼくが買ったのは、昨年に出た107刷。「たいくつな小説」というレッテルをくっつけたまま、もう50年以上も読み継がれていることになります。

 とすれば、芸術とはいったい何なのか? 時代と芸術との関係とは?

 そんなことまで考えさせてくれる1冊が、わずか本体400円! 日本の出版文化も、捨てたものではありません。

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2012年7月 8日 (日)

看板にいつわりなし!?

 あるお医者さんの前を通りかかったら、看板に大きく「麻酔科標榜医(ひょうぼうい)」と書いてあって、ちょっとびっくりしました。こんなことばも、あるんですね。

 「榜」とは掲示板のようなものを指す漢字で、「標榜」とは掲示板に示すこと、つまり、みんなにわかるようにはっきりと示すことを表します。そこで、「麻酔科標榜医」さんは、「私は麻酔科のお医者さんですよ!」と文字通り看板に掲げているわけで、まことに親切なお医者さんだといえましょう。

 ところが、「内科標榜医」とか「胃腸科標榜医」とか「心臓外科標榜医」といった看板は、ついぞ見かけたことがありません。ぼくが「麻酔科標榜医」に引っ掛かってしまったのは、まずはこの点に原因があるのでしょう。

 調べてみると、日本のお医者さんは、医師免許さえ持っていれば、何科の看板を掲げてもいいそうです。ただ、麻酔科に関してだけは、別途、資格を取得する必要があるらしくて、つまり、「麻酔科」を「標榜」する資格というものがあるのです。そこで、「外科」や「レントゲン科」や「診療内科」などには「標榜医」はいないのに、「麻酔科標榜医」だけは存在する、ということになるようです。

 これで納得、といきたいところですが、ぼくの中ではまだ、なんとなく落ち着かないところがあります。

 「標榜」ということばは、辞書を引けばたしかに「公にはっきり示す」という意味だと書いてあります。ただ、このことばにはなんとなく「表向き」というニュアンスがつきまとうような気がするのですが、いかがでしょうか? 「自然保護を標榜する業界団体」とか、「報道の自由を標榜するメディア」とか、「愛妻家を標榜する男」とか……。

 「榜」という見慣れない漢字を使った字面が大げさに感じられて、そういうニュアンスを生むのでしょうか? そこで、「麻酔科標榜医」なんて看板に出会ってしまうと、ちょっとびっくりしてしまうのです。

 このことばにそんな印象を持っているのは、ぼくだけなのかもしれません。けれども、現実に使われていることばの意味と、辞書に載っていることばの意味との間には、ときには微妙なズレがあるようにも感じるのも、事実なのです。

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2012年7月 4日 (水)

本棚に収まらない!

 先日、会社勤めしていたとき以来の友人ととりとめもない電話をしていて、何かのはずみに言われたセリフ。

「トム・ゴドウィンの『冷たい方程式』を読んでないのか?」

 SF短編の名作として、その名はもちろん知っています。また、ギリギリの燃料しか積んでいない宇宙船で、美少女の密航者が発見される、という設定もどこかで読んだことがあります。でも、言われた通り、実際には読んだことがない。

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 というわけで、早速、買い求めて読んでみました。伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫、2011年。ただし、この版は、以前出ていた同名の本とは違って、収録短編を再編集したものとのことです。

 問題の宇宙船は、ある惑星に救援の医薬品を届けるところ。ただし、燃料はギリギリしかないので、重量がわずかでも増えれば、目的の惑星にたどりつくことはできなくなり、待っている人々の命が失われる。だから、密航者はただちに船外に放出しなくてはならない。それがたとえ、可憐な少女であっても……

 短編SFというのは、こういう基本設定をそのまま突き詰めていくことで「名作」たりうるジャンルなのですね。いやあ、なかなかに胸に迫る物語でした。

 ちなみに、同書はほかに8つの短編を収録したアンソロジーですが、ぼくのお気に入りは、最初と最後の2つ。巻頭のロバート・シェクリイ『徘徊許可証』も、基本設定をていねいに展開した作品。巻末のクリフォード・D・シマック『ハウ=2』も、基本のアイデアは1つ。でも、ある意味でばかげたこういう物語は、SFらしくて好きだなあ。

 それにしても、最近のハヤカワ文庫は天地(縦)のサイズが少しだけ長くなって、我が家の文庫用本棚には、まっすぐは入りません。困ったなあ!

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