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2012年5月

2012年5月30日 (水)

聞かないままに歳を重ねて

 床屋さんに行ってきました。

 生まれてこのかた45年近く、自分の髪型とはきちんと向き合ったためしがなく、いつも適当に切り整えてもらうのですが、その際、必ず聞きかれるのが、
「もみあげは、ふつうでよろしいですか?」
という質問。そんなことを言われても、ぼくは遺憾ながら「ふつうでないもみあげ」に関する知識を持ち合わせておりませぬ。とはいえ、街を行く男の人を眺めていると、もみあげが長い人がいるのはよくわかります。

 そこで、「長いので」と答えてみてもいいわけですが、ここでふと頭をよぎるのは、長さにもいろいろあるのかもしれない、という不安。何センチ、と指定をすればいいのだろうか。いや、☆の数とか、ABCDとか、指定のしかたがあるのかもしれない。そこをうまく乗り切ったとしても、その先があるかもしれないぞ。先をとがらせるとか、波打たせるとか、くるんと巻くとか、「仕上げはどうしますか?」なんて聞かれたら、どうしよう!

 そういうわけで、いつも、「ふつうでお願いします」と答えてしまうことになります。こういうことのくり返しでは、もみあげに関するぼくの知識や経験は、いっこうに進歩しない。まったく、ダメな人間だなあ、と思いはするものの、生来の臆病なのでどうにもなりません。

 ついでに、顔の毛を剃ってくれるときに聞かれる、
「まゆ毛の下もお剃りしていいですか?」
という問いかけにも、いつも反射的に「はい」と答えてしまいます。「いいえ」と答えるとまゆ毛の下は放置されるわけですが、そうすると、どんな状態が発生するのか? 産毛がぼうぼうに生えまくるのか? そもそも、どういう理由がある場合に「いいえ」と答えるものなのか?

 せっかく親切に尋ねてくれているのに、よくわからないままにいい加減な返事をもう何十年もくり返しているのは、床屋さんに対して申し訳ない限り。それでも、そんなぼくごときの頭を、人前に出られる形に整えてくださるのですから、床屋さんには大感謝です。

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2012年5月24日 (木)

怖くて昇る気にはなりませんが…

 齢を重ねるにつれて、高所恐怖症が度合いを増していると実感する今日このごろ。ウワサの東京スカイツリーの展望台にも、自分の意志で昇ることはないでしょうねえ。わざわざお金を払って、順番待ちまでしてあんな高いところに昇るなんて、ああ、考えただけでクラクラする!

 というわけで、毎日、テレビや新聞をにぎわせているスカイツリーのニュースも、どこか及び腰になって見ている次第。でもまあ、そうやって遠巻きに眺めているだけでも、気になることは出てくるもの。高さ何百メートルだかのあの展望台、「天望デッキ」というんですってね。「天空からの展望」、略して「天望」というわけでしょうか。ふつうの国語辞典には出てこない、おそらくは造語ではないかと思われます。

 気になったので、近所の図書館まで出かけたついでに、諸橋轍次『大漢和辞典』(大修館書店)を引いてみました。すると、ありましたねえ。「天望」ということば。意味は2つあって、1つめは、「人の死んだ直後、天を望んで叫び魂気を招くこと。」とあります。古代中国の葬送の儀礼の1つなのでしょう。スカイツリーとは、あまり関係なさそうですね。その昔、「天」とは宗教的な存在であったことが、思われます。

 2つめの意味はというと、「天下の仰望」。世界中の人々から注がれる尊敬のまなざし、といったところでしょうか。こちらならば、スカイツリーとも関係づけられそう。「天望デッキ」から見渡せば、天空からの展望を楽しめるだけではなく、まわりの人々からうらやましそうな眼で見られますよ、と。

 もちろん、ぼくは高所恐怖症ですから、うらやましいとも何とも思いませんけれど、ね。

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2012年5月22日 (火)

二字熟語のいたずら

 田口久美子『書店員のネコ日和』(ポプラ社、2010)を読んでいて、ちょっとおもしろい経験をしました。著者は、ジュンク堂のカリスマ店員。その同僚の方が、ある大学に呼ばれて講演した際、一番反応があったのは新書の話だったそうです。

 「だけどサイズの話なんです。『みなさん、新書っていうのは〈新しい本〉じゃなくて、この大きさのことです』って『バカの壁』を出したら、ホーッて声があちこちからいっぱい」

 なるほどなあ。たしかにそういうこともありそうですねえ。

 ただ、おもしろかったのはここで終わりではありません。その先を読んでいくと、ジュンク堂の沖縄店開店準備のお話が出てきて、その中で著者は、理工書担当の店員に次のように訊ねます。

 「どうですか、沖縄の選書は」

 それがなかなかむずかしい。なぜなら、沖縄と本土では植生や生態系が全く違っているから。この悩みは人文書でも同じで、古事記や万葉集、源氏物語や井原西鶴を並べても、沖縄県民に対してはどうなのだろう、と著者は自問するのです。

 このあたりを読みながらぼくが考えていたのは、そうか、書店の棚揃えというのは、そういうことまで考えて行うのか! ということ。でも、選書の理工系の本ってそんなにあったっけ? あるいは、沖縄の出版社が出している理工系の選書があるのか? なんて、かすかなとまどいを抱えながらページをめくると、次のような一文に突き当たりました。

 「選書していると煩悶してしまう、書店という装置で「自分たちの文化」を押しつけているような気がする。」

 そうか、この「選書」っていうのは、書店の棚に並べる「本を選ぶ」ってことだったんだ! 「新書」を「新しい本」だと思いこんでいた大学生を、笑ってはいられないかも?

 「選ばれた本」と「本を選ぶ」ということが同じ「選書」で表されるのは、漢字熟語の特徴。たった2文字でいろいろなことを表現できるのは便利といえば便利ですが、思わぬいたずらをすることもあるようです。

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2012年5月20日 (日)

重版への長い道

 日本で1年間に発行される新刊書籍は、8万点近く。その中で、めでたく重版という運びになるものは、どれくらいあるのでしょうか?

 本作りという仕事にたずさわっていると、そんなことを時々、考えます。ぼく自身の経験でいうと、出版社時代、教科書とか辞書といったメインの担当以外に、年に数冊、単行本を担当していました。最初のころは、なかなか重版がかからなくて、ずいぶん悩んだものです。

 別にベストセラーを狙っているわけではありません。たとえば、高校の国語の先生向けの手ごろな教育書を企画する。全国に高校は4000校以上あるから、少なく見積もっても、国語の先生は1万数千人以上はいるはず。そこで、初版2000部とか3000部で出版するわけですが、これがなかなか売れてくれない。編集者デビュー以来、十数連敗を記録したものでした。

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 それがある時期から、かなりの確率で重版がかかるようになりました。通算成績でいえば、3割から4割くらいにはなるのではないでしょうか。振り返ってみて、1つ1つの本について、重版がかかった理由、かからなかった理由をいろいろと挙げることはできますが、最終的には、めぐり合わせなんだろうなあ、などと思ってしまいます。その本に関わったさまざまな人の力と、世の中の複雑な流れのバランスによって、売れたり売れなかったりするのでしょう。

 さて、3月に刊行した拙著『漢字ときあかし辞典』が、めでたく重版がかかりました。この本、著者としては10冊目になるのですが、実は、重版がかかったのは初めてです。編集者としての連敗記録を超えなくて、よかった!

 お買い上げいただいた方々、出版元の研究社のみなさま、そしてメディアでご紹介くださった方々など、さまざまな方のお力添えがあってのこと。心よりお礼を申し上げます。

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2012年5月15日 (火)

ゲキハクと読むのは間違いかな?

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 今朝の新聞に入ってきたチラシ。化粧品の宣伝なのですが、だれかがその良さを「激白」しているのかと思いきや、どうやらそうではないみたい。この「激白」、「とても白い!」という意味らしくて、そうであれば、「げきはく」ではなく「げきじろ」と読んでおくべきなのでしょう。

 「激」という漢字が、広告や雑誌の見出しなどでよく使われるようになったのは、雑誌『GORO』の1975年4月号で、篠山紀信さんが山口百恵さんの写真に「激写」と付けたのがきっかけだ、と言われています。なかなかの役者がそろった、新語の誕生であります。

 とはいえ、「ものすごい勢いで○○する」という意味で「激」を使う例としては、「激怒」「激賞」などの熟語もあります。それぞれ中国の古典でも古くから使われていることばなので、この「激」そのものは、それほどめずらしいわけではありません。「ものすごい勢いで告白する」という意味の「激白」も、その流れの1つだと理解できるでしょう。

 ところが、「とても○○である」という意味で「激」を使うのは、漢字の歴史の中では、比較的新しい用法なのではないかと思われます。1986年、「カラムーチョ」をきっかけにして起こった「激辛ブーム」などが、その走りなのでしょうか。当時、大学生だったぼくはこのスナック菓子を知らず、友人に「カラムーチョを知らないヤツは酒飲みではない!」などと言われたものでした。

 このタイプの「激」を使ったことばとしては、「激安」「激うま」「激かわ(←かわいい)」などが挙げられます。「激」のあとには音読みの漢字ではなく、訓読みのことばが続くことが多いようです。

 「とても白い」という意味で「激白」を「げきじろ」と読ませるのは、まさにこの例の1つ。そう考えて眺めると、なかなか奥深いチラシなのでありました。

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2012年5月11日 (金)

いくら売れてももうからない?

 最近、『出版興亡五十年』(1953年)という本を読んでいるのですが、これがなかなかにおもしろい。著者は小川菊松といって、誠文堂新光社の創業者。1902(明治35)年にこの業界で働くようになってから50年、見聞きしてきた出版業界のさまざまな裏話が、いっぱいに詰まっています。もっとも、どうやらちょっと話を大げさにするクセがあるようなので、眉に唾をつけながら読まないといけないのですが……

 たとえば、明治のベストセラー、徳冨蘆花(とくとみ・ろか)の『不如帰(ほととぎす)』は原稿料一括払いの契約だったので、売れても売れても出版元の民友社がもうかるばかり。ただ、100版に達したらたっぷりお礼をしましょう、という話だったのだが、そのため99版のときには、当時としては破格の2万部を刷ったとか。

 岩波文庫『不如帰』には「第百版不如帰の巻首に」という序文が付いていますが、その背後にはこんな事情が本当にあったのでしょうか?

 民友社といえば兄、徳富蘇峰(そほう)の経営。「御兄弟の間は、その後必ずしも円満ではなかった。その原因が何であるかは知らないが御本人同志が知らぬ間の、部下のこうした弄策は、両先生間のもつれに、一層油を注ぐ結果とならぬでもあるまい。」

 また、ごていねいに「本書出版費の計算実態」なんてのも載っていて、組版代がページあたり本文250円、年表と索引は360円などと書いてあるのを見ると、物価の上昇と比べて、このあたりの費用はさほど上がっていないのかも、などと思ったりもします。

 そんな本書で、珍しいページを発見したので、写真でお目にかけましょう。

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 何が珍しいかというと、ページの上に横組みで掲げてある「ハシラ」と呼ばれる見出しが、右ページなのに左寄せになっていること。ハシラは右ページなら右寄せ、左ページなら左寄せにするのがふつうです。本書でも、この節だけがこうなっているので、校了直前に何か事情があってページの左右が逆になったのに、ハシラの位置を直し忘れてそのまま校了になってしまったのでしょうか。

 いろいろな意味で、読書のたのしみを満喫させていただいております。

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2012年5月 2日 (水)

こんな使い方もあったのか……

 今朝の朝日新聞のスポーツ面に、ちょっと気になる広告が出ていました。男性向けの精力剤らしいのですが、その名が、「如意乒(にょいぴん)」というのです。3つめの字はネットではうまく出ないかもしれませんが、「兵」の下の2つの払いのうち、右側の払いがない漢字です。

 この字、漢字好きの間ではかなり有名で、「乒乓」とは現代中国語で「卓球」のこと。つまり、「ピンポン」に対する当て字です。形そのものが、なんとなくピンポン球を打ち合うようすを想像させるところがあって、1度、目にすると忘れられない漢字となっています。

 ただ、そのうちの「乒」だけが単独で使われている例は、これまで、目にしたことがありません。「如意乒」とはいったい、いかなる意味なのでしょうか? 基本的にはピンポンの当て字以外に使い道はなかったはずだけれど、と思いながらも、念のため辞書を引いてみましたが、やはり、単独で使えるような意味はありません。

 はてさて、これはどういう意味のネーミングなのか? ひょっとすると「乒」に新しい意味が誕生しているのか? だとすれば、漢和辞典的にはちょっとした事件だぞ。

 そう思いながらぼんやりすること、数分間。……あらあら、なぁんだ。

 「如意」とは「意の如く」ということで、つまり「思い通りに」ということ。とすれば、「にょいぴん」とは文字通り、「思い通りにピンとする」ということではあるまいか。だって、男性向けの精力剤なのですものねえ。

 下世話な話でたいへん失礼いたしましたが、こんな漢字の使い方もあるものなのか、と妙に納得した次第でした。

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