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2012年4月

2012年4月27日 (金)

タイガースと四字熟語

 2〜3週間に1度、父の様子を見に兵庫県まで出かけます。父が今、住んでいるのは、ぼくの生まれ育った西宮市から川を1つ隔てたところ。「実家に帰る」という意識はさすがにないのですが、六甲山を見上げるたびに「また帰ってきたなあ」という思いだけは湧いてきます。

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 父の住んでいるシニアマンションの近くには、地元では「あましん」の愛称で親しまれている尼崎信用金庫の小さな支店があります。その店頭に、球春の到来とともに写真のような貼り紙がされました。さすが地元、信用金庫だってタイガースを応援しているのです。

 その前を通りすぎるたびに、「獣王無敵」とはおもしろいことばだなあ、「縦横無尽」のもじりかなあ、などとぼんやりと考えていておりました。まったく、ウカツな話でありました。

 しばらくして、テレビで野球中継を見ていたときのこと。甲子園球場の内野席に、「獣王無敵」の横断幕がかかっているではありませんか! ああっ! そんなことに気づかなかったなんて、ぼんやりが好きにもほどがある!

 かの有名な、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」。ブレーブスの身売り以来、在阪球団を広く応援しているぼくだって、よく知っています。神宮球場のレフトスタンドで合唱したこともあります。その2番の歌詞に、次のようにあるではないですか。

 「獣王の意気 高らかに
  無敵の我等が 阪神タイガース」

 ひとつづきの文章の中の印象的な2文字ずつが組み合わさって四字熟語ができることは、よく見られます。「電光石火」とは、禅の書物にある「石火を撃つがごとく電光を閃かすがごとし」という一節から生まれたことば。また、中国の歴史書に出てくる「むしろ鶏口(けいこう)となる牛後(ぎゅうご)となることなかれ」という台詞が、縮まって「鶏口牛後」という四字熟語になった例もあります。

 とすれば、「獣王無敵」も十分に、四字熟語としての資格を備えているといえましょう。いつの日か、このことばがもっと一般化して、四字熟語辞典に収録されるときが来るのでしょうか。

 それにしても、そのときには、意味はどんなふうに説明されるのでしょうねえ。

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2012年4月24日 (火)

編集者的閉所恐怖症

 円満字くんは、見出しまわりを広く取るのが好きだねえ。——一緒に仕事をしていた先輩に、そんなことを言われたことがある。

 ふつうの大きさの単行本の場合、1ページはだいたい15〜17行くらいだ。それに対して、いわゆる「小見出し」は2行取りと相場が決まっている。また、1冊に5、6回くらいしか出てこないような大きな見出し(たとえば章見出し)だと、中扉を立ててどーんと立派に見せてやることが多い。問題は、その間くらいの見出しの扱いだ。

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 ぼくの場合、1章に2〜3回程度の見出しだと、改ページをして6〜7行取りにする。もっと多く出てくる見出しだと、改ページはせずに4〜5行取りだ。それくらいの方が、余白が目立って、ゆったりと落ち着いた気分になる。

 でも、先輩のおっしゃる通り、これはちょっとゆったりしすぎらしい。たとえば、最近、読んでいる講談社の「日本の歴史」のシリーズだと、このクラスの見出しは3行しか取っていない。これはごくごくふつうのスタイルなのだが、読みながら、「もう1〜2行、空けたいなあ。そうしたって、ページが増えてしまうほどのことではあるまいに」などと考えてしまう。そして、3行取りにするならば、文字の大きさをもう少し小さくするかもなあ、などと思ったりもする。

 これは、あくまで好みの問題だ。ひょっとすると、ぼくには閉所恐怖症の気があるのが、関係しているのかもしれない。

 ある原稿をどのように組んで、1冊の「本」に仕立ててやるか。

 それは、書籍編集の仕事の中でも、最もおもしろい部分の1つだと、ぼくは思う。特に単行本の編集者は、いつも、それを考えて仕事をしている。だから、見出しの扱いにだって、担当編集者の個性が表れるのである。

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2012年4月21日 (土)

何もないお城が好き

 ここのところ、お城がちょっとしたブームになっているようで、雑誌の特集になっていたり、テレビでもBSの番組でお城が取り上げられたりしているのを見かけます。かくいうぼくも、小学校2年生のとき以来のお城のファン。小学生のときには父に連れられて、中学生になると友だち同士で、高校生以降は一人で、あちこちのお城を見て歩いたものです。

 といっても、年齢が上がるにつれて、趣味がちょっと変わってきたと申しましょうか。姫路城・彦根城・松本城といった、雑誌やテレビで取り上げられる立派なお城ももちろんいいのですが、もっと好きなのは、建物が残っていない、いわゆる「お城跡」。石垣とお堀だけとか、よく見ると空堀がわかるくらいとか。何もない原っぱに石碑が1本立っているだけ、なんていうのは、もう最高!

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 大学時代、ユースホステルで旅をしていると、同宿の人との情報交換の中で「明日はどこどこのお城を見に」と言うと、よく「昨日、行ってきたけれど、あそこは何もないですよ」と言われたものでした。ぼくに言わせれば、その「何もない」のを見に行くのですが。

 写真は、ぼくが高校卒業まで過ごした、兵庫県の西宮市にある越水城の石碑。ご覧の通り、ほかには何も「見るべきもの」がないお城跡です。現在では小学校の敷地の隅っこに立っていますが、昔は、ふつうのおうちの石塀にはめこまれていて、およそ「お城」らしくはない。でも、それはそれで、なかなか趣があったものでした。

 ここにお城があったのは、室町時代のこと。六甲山系から下ってくる小高い丘の先っぽにあたっていて、物見櫓を建てると、見晴らしはすばらしかったことでしょう。眼下には西国街道を行き交う旅人たち。その向こうには西宮神社。はるかに広がる大阪平野を幾筋もの川が流れ、青々とした大阪湾に注ぎ込む。その昔、源義経が平家を追って船出をした大物の浦は、あのあたりか……

 何もないお城跡には、何もないなりのよさがあるのです。

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2012年4月17日 (火)

春風にたなびく誤植?

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 安くておいしいので、ついついお世話になってしまう中華ファミレスのバーミヤン。春風に誘われて散歩をしていると、その店頭に写真のようなのぼりがひるがえっているのが目に入りました。「牛肉と春筍のマーラージャン炒め」という、いかにも香ばしいかおりが漂ってきそうな一品。ところが、よく見ると、ふつうは「麻辣醤」と書くところが、「辣」の代わりに「辡」となっています。

 「辛」を2つ並べて書くこの漢字は、漢和辞典的には「言い争う」という意味で、音読みだとベンと読みます。現代中国語の発音も、カタカナで書くとビエン。だから、「麻辡醤」はマーベンジャンとかマービエンジャンとかは読めても、マーラージャンとは読めません。

 これは大きな誤植だなあ!

 と思ったものの、よく考えてみると、「辣油」「辛辣」「辣腕」のように日常的にもときどき使われる「辣」を、一般にはまず見かけない「辡」と間違えるというのも、誤植のあり方としてはちょっと腑に落ちないところ。「マーラージャン」と入力して変換キーを押したら出てきた、とも思えない。しかも、バーミヤンのメニューにはほかにもマーラージャンを使ったお料理はあって、そちらではきちんと「辣」となっているところを見ると、単純な誤植だとはいえないような……。

 そういえば、最近、読んだ日経新聞の「ことばオンライン」では、近ごろは商標の漢字の中に、「米+麦」でラーメンとか、「布+包」でかばんといった、創作漢字が見受けられるとのこと。ひょっとするとこの「麻辡醤」も、「辛いんだぞっ!」ということを強調するためにあえて選ばれた、創作漢字の一種なのかもしれません。

 そもそも、「鞄」を「かばん」という意味で使うようになったのは、明治10年ごろ、かばん専門店、銀座タニザワの創業者、谷澤禎三(たにざわ・ていぞう)の発案によるものだとか。「麻辡醤」だって、とても辛いマーラージャンを表す熟語として、いつか定着していくのかもしれないなあ。

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2012年4月15日 (日)

姉妹都市の秘密

 姉妹都市、姉妹校、姉妹編、姉妹品……。これらはどうして「兄弟」ではないのだろうか? 英語でもsister cityとかsister schoolというらしいから、その翻訳から生まれたことばなのだろう。つまり、洋の東西を問わず、男性よりも女性の方が情が深いということだろうか。いやいや、それには異論がある人も多いに違いない。
 ずっと前からそんなことが気になっていたのだが、先日、1915(大正4)年に刊行された『漢和大辞書』(興文社)という漢和辞典に、興味深い記述を見つけた。この辞書の【姉妹】のところには、【姉妹艦】という項目がくっついていて、次のように説明がされている。
 「二つの軍艦の其の形態構造相似たるものを互に云ふ。艦は、英語にて女性詞なるが故なり。」
 フランス語やドイツ語などでいう「女性名詞」は、英語にはない。だが、ヨーロッパでは船は女性なのだ、と耳にしたことがある。そういえば、少年時代に見た映画『スタートレック』の第1作で、何年かぶりでエンタープライズ号の指揮をとることになったカーク提督が、エンタープライズ号のことをsheとかherとか呼んでいたような気がする。
 「艦は、英語にて女性詞」とは、そういうことなのだろう。だとすれば、shister shipとは言ってもbrother shipとは言わないのは、当然だ。
 調べてみると、フランス語やドイツ語では、「都市」や「学校」も女性名詞らしい。「姉妹○○」というのはここから来ていたのか、と納得した次第だった。
 ちなみに、『漢和大辞書』の著者は、芳賀剛太郎(はが・ごうたろう、1867〜1947)といって、大正から昭和戦前にかけていくつもの漢和辞典を世に送り出した、漢和辞典の歴史の上では重要な人物だ。この辞書は芳賀の大作の1つで、収録親字数は、総画索引で数えた限りでは2万2950。現在でも、これだけの漢字を収録した漢和辞典は、数えるくらいしかない。単に意味を説明するだけではなく、書き誤りやすい漢字についての注意が詳しいのが大きな特徴。また、この【姉妹艦】のようにちょくちょくと付加情報が載せられていて、なかなか勉強になる辞書である。

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2012年4月12日 (木)

本屋大賞に階級制を?

 今年の本屋大賞が、三浦しをんさんの『舟を編む』に決まりました。この賞も最近はえらく大きなイベントになってきたようで、テレビのニュースでもしっかり取り上げられていました。受賞作は辞書編集者を描いた物語ということで、ぼくもおもしろく読みましたが、うれしはずかしというか、痛し痒しというか……。自分の働いている業界を舞台にした小説を読むと、だれしも、こんななんとも言えない感覚を持つのでしょうねえ。

 昨日の新聞広告によると、この本はすでに38万部突破とのこと。そんなにも多くの方々が、辞書作りの世界を覗いてくださっているというのは、ありがたい限り。そして、本屋大賞をきっかけにして、さらに多くの方々がこの世界に興味を持ってくださるわけですから、三浦しをんさんには大感謝です。

 ただ、あえて1つだけ申し上げるとすると、この賞の特色である本屋さんが「いちばん売りたい本」というのが、実際に「すでに売れている本」であるというのは、ちょっとおもしろみに欠けるかなあ、と。売りたいものが売れている、というのは、それはそれであるべき状態ではあるわけですが、下手をするとこの賞が現状の追認ということに終わってしまうことになりかねないような。本屋大賞がイベントとして大きくなればなるほど、そんな気もしてきます。

 現在の日本では、1年間にほんとうにたくさんの本が出版されるわけで、その中には、「もっと売れる可能性があるのに売れていない本」というものもあるんじゃないか。全国の本屋さんが、そういう本にも光を当ててくれると、編集者としてはうれしいし、業界全体にとっても、新たな需要の掘り起こしになるのではないかなあ。

 そのためには、本屋大賞も、柔道やボクシングみたいに階級制にしてみるとか。軽量級は初版3000部以下、中量級は3001部から7000部、重量級はそれ以上、なんてね。

 それとも、ここは編集者が立ち上がって、「自社本以外でもっと売れて欲しい本」を選ぶ賞でも設けるといいのかなあ……。

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2012年4月 9日 (月)

花よりダンゴ

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 春の陽気に誘われて、近所の川べりまで散歩に出かけた。満開のソメイヨシノはもちろん美しいけれど、気に掛かったのは、脇っちょに咲いているハナニラの群れ。グリーンの葉っぱを背景に、真っ白な花びらが冴えわたっている。おしべの黄色も、いいアクセントだ。学生時代のぼくはこの清楚な花の名前を知らなくて、後輩の女の子に尋ねたら、「ニラの花ですけど……」って、びっくりしたような答えが返ってきたっけなあ。

 ニラを漢字で書くと「韮」。山梨県の韮崎とか、伊豆の韮山なんていう地名もあって、日常生活でもそれなりに使われることがある。ただ、この字を漢和辞典で調べようと思って「艹(くさかんむり)」のところを探しても、見つからないかもしれない。多くの漢和辞典では、「韮」の部首は「艹」ではなく、「韭(にら)」となっているからである。

 「韭」はもともとニラを表す漢字で、「韮」はそれが植物であることをはっきりさせるために、後から「艹」を付け加えて作られた漢字らしい。そう言われてみると、細い葉っぱがピンピンと伸びているようすが、「韭」の形に表れているような気がしないでもない。

 そこで、伝統的な漢和辞典では、「韮」の部首は「韭」とする。では、この部首にはほかにどんな漢字があるのかというと、ふつうに使うようなものはほとんどない。典型的な弱小部首であって、言ってみれば、ほとんど「韭」「韮」の2文字のために存在しているような部首なのだ。

 わざわざ「韭」なんていう部首を立てるなんて、昔の中国の人びとはよっぽどニラが好きだったんだろうなあ!

 でもそれは、花が清楚で美しいからではないんだろう。だって、ニラといえば、やっぱりあの独得の香り。食材として、あるいは薬用として重宝されてきたからこそ、「韭」は部首となっているんだろう。現実的に役立つものに高い価値を置く。それもまた、中国文明らしい気がする。

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2012年4月 4日 (水)

嵐の夜の猫

 昨日の夜、部屋でパソコンに向かって仕事とも遊びともつかぬことをしていると、玄関の脇で突然、パリンと何かが割れる音がした。何かと思って、玄関から外へ出ようとする。その瞬間、びゅうっと音をたてて駆け抜ける突風に、ドアを持って行かれそうになった。

 我が家の玄関脇には、フリーランスの猫くんが間借りしている。見ると、この春の嵐に彼女もさすがに夜の冒険はあきらめて、暗がりの丸い影と化している。そのそばに、いつもえさを入れておくお皿が、風に吹かれて転がって、きれいに2つに割れていた。

 割れたお皿を片付けながら、この嵐では猫くんだって恐いだろう、今夜は我が家の中へとご招待しようか、と考えた。そこで、玄関のドアを吹き飛ばされないように細めに開けて、こっちに来るかい? と声を掛けてみる。猫くんはのっそりと起き上がった。そうしている間にも風は吹いて、雨粒が眼鏡のレンズをぬらしていく。

 ドアのところまできた彼女は、ニャアと鳴きはするものの、しかし、中に入ろうとはしない。どうやら、猫族特有のあの好奇心を発揮しただけのようだ。

 今夜は嵐だから、おうちの中の方が安全だよ。そう話しかけてみても、知らんぷり。そのうち、身を翻して我が家の前の道を横切り、お向かいさんの塀の向こうへと消えていった。軒下に間借りはしても、家の中にまで入ろうという気はないらしい。

 こんな嵐の中、大丈夫だろうか……

 深夜、雨風がだいぶ収まってからまた外に出てみる。とたんに、黒い影が足元にまとわりついた。今夜は特別だから、と思って、新しいお皿にえさを入れて出してあげた。お腹が空いていたのか、すぐさまがっつき始める。

 そばにしゃがんで、その姿を見ながら考える。フリーランスの猫には、フリーランスの猫なりの生き方があるんだろうなあ。お互い、その生き方でうまく世の中を渡っていけますように。

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2012年4月 2日 (月)

ものうい春の夜に

 「目覚まし枕」をご存じだろうか?

 ネットで検索していただくとすぐわかるように、セットされた時間になると枕が振動して起こしてくれるという商品である。なかなかのグッド・アイデア! と思いきや、「この程度の振動では起きられません」という方もいらっしゃれば、「ここちよい揺れ具合でかえって二度寝をしてしまいました」という反応もあって、必ずしも大好評というわけではないようだ。

 ただ、これとはまったく別個に、ぼくは漢和辞典の中で「目覚まし枕」に出会ったことがある。

 大昔の中国には、円い木で作った不安定な枕があったらしい。気をつけて横になっているうちはいいけれど、熟睡すると枕が転がって外れ、頭をしたたか打ち付けて目が覚める。これを「警枕(けいちん)」といい、漢和辞典によっては、ひとことで言えば「目覚まし枕」だと解説しているのである。

 1文字で「めざましまくら」を表す漢字もある。

 それは「熲」という字で、音読みではケイ。本来は「きらきら輝く」という意味を表す。眼をらんらんと輝かせることに通じるのだろうか、この字は「警枕」を表すことがあるらしい。そして、有名な諸橋轍次『大漢和辞典』は、この字をズバリ、「めざましまくら」だと説明している。

 不思議なのは、いったい何がうれしくてそんな枕を使うのか、ということだ。

 中国のある王が、戦陣で熟睡するのを防ぐために使った、という話もある。だが、本当に眠たければ枕を外したまま眠り込んでしまうだろうから、たいした効果があるとは思えない。目が覚めるたびに不安定な枕にまた頭を預けるというのは、よほど律儀な人間か、かなりのマゾヒストだけではないだろうか?

 眠っちゃいけないと思いつつ、つい睡魔の誘惑に軽く身を委ね、はっとして目を覚ます。そのくり返しは、たしかにあまいあまい快楽の瞬間だ。「目覚まし枕」とは、その快楽を味わいつくすための枕なのかもしれない。

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